九龍/葉佩と皆守。捏造ネタバレどんと来いな方のみどうぞ
殺風景な屋上では今日も冷たく乾いた風が強く、時に弱く唸っている。
皆守がいつもの指定席に陣取りぼんやりとラベンダーの甘い香りに酔っていると
突然視界の左側から、甚だ不本意ながらすっかり見慣れてしまった顔が
にゅっと飛び出してきた。
「おわっ」
思わず口に咥えていたアロマパイプを落としそうになり、
それまでだらりと力なく下ろしていた左手で慌てて掴む。
「おーすげえ皆守!意外と反射神経ええの、お前」
「葉佩!」
呑気に感心する葉佩をぎりと睨んだら、
「あーあー悪かったすまん脅かしてごめんなさいよっと」
などと明後日の方向を向いたまま気の抜けた謝罪の言葉を返してきた。
わざとこちらの神経を逆撫でしようとするかのような、
反省の色など欠片も見られない態度はむかつく事この上なく、自然と眉間の皺が深くなる。
すると、本気でイライラしているのが伝わったのか
葉佩はくしゃりと情けない笑顔を向けて片手を上げた。
「や、マジ悪かった。ごめんな?」
「……もういい」
そんな顔でそんな風に謝られれば、あっさり毒気なんて抜かれてしまう。
何だか一気に疲れてしまって、手にしていたパイプを咥え直した皆守は
そのままズルズルと壁に凭れていた背中を滑らせ両腕を枕にその場に横になった。
空を見れば本日も快晴。
この季節特有の高さを感じる透明な青さで、雲ひとつなく晴れ渡っている。
これといって感慨もなく単調にそれを眺め、眩しさに目を細めると、
そんな皆守に何を思ったのか、葉佩はおもむろに皆守の右隣に移動して
自分もその場に腰を下ろし、間抜けな声を上げて大きく伸びをした。
「おい」
「ああ?何ね」
「今授業中じゃなかったか」
「あー、あと20分位?」
事も無げに答える葉佩に、皆守はちらりと視線だけ向けて確認する。
「いいのか?一応優良学生だろ」
自分もサボっているくせに人の事だといちいち気にしてくる皆守がおかしいのか、
「半分は出たし、まあ許せや」と笑いながら返すと、葉佩は空を見上げた。
「時々ぱーっと広いとこで羽伸ばさんと、やっとれんもんなあ」
その気持ちは、皆守にも理解できた。
学園という閉ざされた空間のみで生活していると、時々息が詰まりそうになる。
広々とした外の世界を感じるには、屋上という一面に空が見渡せる場所は確かに最適だった。
しかし恐らく、似たような気持ちを抱いているとは言え
葉佩と自分ではその本質的な部分が全く違うのだろう、と皆守は思う。
葉佩は何の枷に捕らわれる事もなく、ここから果てなく広がる世界を、自由を見つめている。
しかし自分は結局、「閉ざされた空間の中にいる」という大前提の上でしか
世界を、自由を見ていないのではないだろうか。
葉佩にとって周囲の世界は紛れもない現実であり、自分にとっては憧れでしかない。
この二つの間に存在する溝は限りなく深く広い。
それなのに、何故だろう。
葉佩の傍にいると、その憧れが憧れで終わらないような、そんな気がした。
不思議な推進力を持ったその背中をこの視界に捉えている限り、
新しいステージへ、未知の世界へ踏み出して行く事も可能であるかのように思えた。
事実、彼の前に立ち塞がり、そして彼に踏み越えられていった者達は
その背中に引っ張り上げられるように前を向いて歩き始めている。
ならば、あるいはこんな自分であっても……。
そこまで考えて、あまりにらしくない思考に皆守は苦笑した。
有り得ない話だ。
何より自分はそんな事望んじゃいないだろう?
右隣からの「何、妙な笑い方しとるん?」と訝しむ声が意外と耳に心地いい。
きっとあと10分もしたら、八千穂が喧しく屋上の扉を開いて飛び込んで来るだろう。
そして「もう、二人して何さぼってんのー!
気づいたら九ちゃんまで途中で抜け出しちゃってるし、信じらんない!」なんて、
さして怒ってもなさそうな顔で説教しながらマミーズに連れて行かれるのだろう。
そこには当然のように葉佩の笑顔があって、
その笑顔につられて周りに集まってきた奴らまで笑顔になって。
ああ、なんて騒がしい日常だ。
穏やかに緩やかに、自分のペースを乱される事なく生きて行きたい俺には
全く迷惑この上ない。
「……って、今度は何そんな嬉しそうな顔してんの、お前」
わっかんねー奴、昼飯のカレーのことでも考えとるんか。
風と一緒に右から流れて来る呆れたような声は聞こえないフリをして目を閉じた。
午前の授業終了まであと10分。
2005.02.03/2007.09.08/2009.04023一部修正